久々の更新です。ご無沙汰してます、chadyです。
さて、第2回歴史の勉強です。
またメキシコです。今回は20ペソ紙幣の肖像画の人物ベニート・フアレス(Benito Pablo Juárez García)です。メキシコシティの空港の名前でもあります。
(歴ログ-世界史専門ブログ様より引用)
この人ですね。
最も偉大で敬愛されるメキシコのリーダーで建国の父と呼ばれています。大変人気があります。ぼくの主観でいうと、日本でいうところの坂本龍馬のような感じではないかと思います。彼も今でも人気があって尊敬してたるお手本としてる人多いですよね、きっと。
それで、彼が何をした人なのかというと、19世紀のメキシコ大統領なんですが、軍歴を持たない初めての大統領であり、政界の頂点に立つ初めての純血のメキシコ人なのです。
それだけでの十分「おぉー!」と思うところですが、それだけでなく彼は4歳のときに農民だった両親を亡くし孤児となってしまうんです。その後は、とうもろこし畑の見張り番として生きていました。新たなチャンスを求めて12歳でオアハカに引っ越すまで学校に通ったこともなかったんですね。まだスペイン語も話せませんでした。
しかし、そのオアハカで家僕として奉公していた家の主人、フランシスコ会士のアントニオ・サラヌエバはフアレスの熱心さと知性に感動し、神学校に通わせるんです。もちろん学費を払って、です。後に、僧職につかず法律を勉強したいと言い出したフアレスの要望も聞き入れ、法律の勉強も支援するんです。
そして、フアレスは弁護士、裁判官、州知事と着実に出世したんですが、腐敗に反対したために投獄され、アメリカに亡命し葉巻工場で働きます。
1855年にメキシコ国内が混乱するなか帰国し、法務大臣になるんですが、彼は当時ヨーロッパで大きな力を持ち、産業界にも支配力のあった教会と対立するんですね。軍人や僧侶の特権廃止を訴えたからです。もちろん、時のローマ教皇に破門されてしまいます。
彼は民主主義と先住インディオへの平等な権利の導入をやってのけた進歩的な改革者でした。彼のおかげで、ローマカトリック教会の政治への影響力は減少しています。
彼の成し得たこと、彼が現在でも人気がある(なかでもオアハカでは彼を神のように慕っているのだとか)ことの一端を垣間見ることはできたかと思います。
彼は、過去や出自に囚われず、ロマンを抱いて国家の理想を追い求め、不公平な社会制度から障害を取り除こうと実際に行動し続けたんですね。いまの自分があるのは僧侶アントニオの援助のおかげ、ということで目の前の不平等を見逃すことができなかったんでしょう。熱いですね。
最後に彼の言葉を
El respeto al derecho ajeno es la paz
意味は「他者の権利の尊重こそが平和である」。